奈良の大仏と鎌倉の大仏の違い。願いを叶えてほしければどっち?【この差って何ですか?】2015年6月28日

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鎌倉大仏の大仏殿】
3・11がものの見方を変える、ということがたくさんある。なにげなく見過ごしていたものが、見えてくる。鎌倉大仏が、大仏殿の覆いもなく、なぜ雨や日照りに曝されたまま、座っているのか。その理由を、聞いたことがあったのだろうが、はっきりは覚えていなかった。今回、3・11を経て、どうやら大仏殿が津波によって壊され、以降、再建されずにきたらしいことが分かった。
whikipedeiaの説明ではこうだ。「大仏殿の存在したことは、平成12年から13年(2000 - 2001年)にかけて実施された境内の発掘調査によってもあらためて確認されている。『太平記』には、建武2年(1335年)、大風で大仏殿が倒壊した旨の記載があり、『鎌倉大日記』によれば大仏殿は応安2年(1369年)にも倒壊している。大仏殿については、従来、室町時代にも地震津波で倒壊したとされてきた。この津波の発生した年について、『鎌倉大日記』は明応4年(1495年)とするが、『塔寺八幡宮長帳』などの他の史料から、明応7年(1498年)9月20日(明応地震)が正しいと考証されている」。
GoogleマップNASAの高度データを使った、海面上昇による浸水シミュレーション(Flood Map)というのがある。あくまで海面がどれだけ上昇したなら、というもので、津波襲来のシュミレーションではないのだが、それを使ってみると、鎌倉大仏の所在地点では20mほどの上昇で、鶴ヶ丘八幡宮の位置と同じように見える。明応の地震というのが、湘南地域に津波を加えたことは間違いないのだろうが……